大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和30年(う)452号 判決 1955年12月15日

控訴人 被告人 幸田芳雄

弁護人 佐藤邦雄

検察官 岸川敬喜

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金壱万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金弐百五十円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人佐藤邦雄の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点及び第二点について。

論旨は、要するに、原判決が被告人の運転する貨物自動車が原判示丁字路を左折せんとして同方向に進行中の神戸国治乗車の自転車に突当り、同人を路上に転倒させてその自動車後車輪で同人を轢いたと認定しているのは誤りで、被告人の運転する貨物自動車は被害者神戸の乗る自転車に接触しないだけの十分の距離をおいて進行中被告人の視界外で被害者自身の過失により右側に転倒したところをそのことを知らずして丁字路を左折した被告人の貨物自動車の後車輪が同人を轢いたものであるから、被告人に過失ありとすることはできないというにある。

成程、原判決挙示の証拠中被告人の操縦する貨物自動車が被害者神戸の乗つていた自転車に突当つたと認むべき証拠としては、被告人の司法警察員に対する供述調書中「事故を起こして停車する直前にトラックの左後方で何かトラックに当つたような音が『ガタン』としたので、自転車でもぶつつかつたのではないかと真感した」旨(記録一五五丁裏)、検察官に対する第一回供述調書中「その自転車を追越した際、左側の方で何か自転車でも倒れたような『ガチヤ』という音をたてた」旨(一六三丁表)、「それがため車体の左側が自転車のいずれかに当つたか、さもなければ車のアフリを負わせるかして、その人の自転車進行の自由を失わせて倒し、後車輪で轢いたものと思う」旨(一六四丁表裏)の各供述があるが、これだけを以ては、他の証拠に照し、直ちに貨物自動車が自転車に突当つたものとは認め難い。却つて、記録及び当審における事実取調の結果に徴すれば、若し貨物自動車が自転車に突当つたとすれば、両方の車体が損傷している筈であるのに、貨物自動車の車体には何等の損傷なく(司法警察員作成の実況見分調書、一三丁裏)、ただ後部左側車輪タイヤに新しい擦過状の損傷があつた(当審証人高橋一見の証言、及び記録二〇丁表写真)だけで、自転車(証第一号)は荷台後部がM型に凹んだ如くなつており、後車輪泥除けの尾燈が落ちていた(同証人の証言及び一五丁表)ことは認められるが、その荷台後部のM型状の凹みが本件事故のため生じたものとしても、当審における検証の結果に照し、それが進行している自転車の右荷台後部に貨物自動車の車体のいずれかの部分が突当つて生じたものとは到底考えられない。貨物自動車の車体が進行している自転車搭乗者神戸の身体に僅かに触れた如き場合には、貨物自動車の車体にも自転車の車体にも損傷を生ぜず、かつ貨物自動車の乗員がその接触に気付かないこともあり得ることは考えられるところであるけれども、貨物自動車に乗つていた同自動車持主佐賀忠造及び助手田中久夫の原審における各証言によれば、車体にショックを感じたが、それはコトンと音がしたとか、デクンとなり何か高いところに後車輪が上つたようなショックの感じであつて、突当つたショックではなかつたとかいうのである(九八丁表、三八丁裏)。なお、原審及び当審証人小田耕一の証言によれば、自転車は被害者の倒れていた所から一間位(一二二丁裏)ないし一間半位(当審証言)先に倒れてあつたというのであるが、右証言部分は、当審証人高橋一見の証言その他に照し、何かの記憶違いとみられ措信し難いのみでなく、同証人の証言は、トラックが自転車を追越す瞬間自転車が捲き込まれるようになつて倒れたようで、それはトラックの何処かが接触したためと思われるけれども、触れたとしてもほんの少しでトラックの方は気付かなかつたかも知れないが、むしろ自転車が曲り角の水溜りの窪みの所をよけてトラックの方へ少し近づいて触れたのではないかと思うというのであるから、貨物自動車が自転車に突当つたために自転車が被害者の倒れた所から一間余も先にあつたという趣旨でないことが明かである。右の次第で、原判決が前記の如く被告人の運転する貨物自動車が原判示の如く同方向に進行中の神戸乗車の自転車に突当り同人を路上に転倒させたと認定したのは事実を誤認したものというべきである。

しかし、法律が自動車運転者の如き危険業務に服する者に対して要求する注意義務は通常人に比して大でなければならないから、苟も危害を発生する虞のある場合には常にこれが予防につき多大の注意を払わなければならない。従つて、交通頻繁な丁字路において前行する自転車を追越さんとする貨物自動車の運転者は、警笛を鳴らして自転車搭乗者を警告し以てその搭乗者自身に危険を生ずべき行為をなさないように注意すべきに止らず、同搭乗者をして交通上の危険を生ぜしめないようにする責務あること当然である。そして、自転車に乗つて進行する場合機械の運行廻転する時の如く正確な標準に基いてその運動を律することはできないから、貨物自動車が自転車を追越す場合においては、両者の間隔が数学的にみれば多少の余地あるときでもなお相接触等すべき危険のあることを予期しなければならない場合のあることは理の当然である(大審院昭和一三年(れ)第一一一〇号・昭・一三・一一・一七言渡判決参照)。まして、貨物自動車が曲り角をカーブする場合には前車輪より後車輪が一層カーブ内側に近い所を通過するものであり、また貨物自動車が自転車に余りに近接して追越す場合には、数学的にいえば必ずしも衝突ないし接触するほど接近していなくとも、自転車搭乗者が狼狽等の心理的動揺を起して操縦を誤り、或いは衝突ないし接触を惹起し、或いは転倒し、ために人の死傷を惹起することのあることは経験則上明かなことで、殊に、その場所の道路に窪地等の障碍物ないしは自転車の通行困難な個所があり、追越しの際自転車は貨物自動車とその個所との中間を進行することになる場合には、右の如き事故発生の危険は一層大であるといわねばならない。従つて、貨物自動車の運転者は右の如き場所で自転車を追越すには、自動車と自転車又はその搭乗者とが衝突ないし接触することなく、かつ自転車搭乗者をして右のような原因で操縦を誤らしめることがない程十分な間隔を保持して進行すべく、若しその場の状況上そのような間隔を保持して進行することができないときは、追越し終るまで、即ち貨物自動車の車体の後端が完全に自転車の前端の前方に出るまでの間、終始助手をして自転車の状況を注視せしめ、かつ必要に応じて随時停車し得る如く用意しつつ進行する等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務のあることは条理上当然である。そして、若し右の如き危険の発生すべき状況の存在するに拘らずこれに留意しないで貨物自動車を進行せしめ傷害の結果を発生せしめたときは、自転車搭乗者の過失の有無はさて措き、貨物自動車の運転者は職務上為すべき注意義務を怠つたことによつて、認識し得べくしかも認識することを要した結果の発生を認識しなかつたために、避けることのできた結果を発生せしめた者であるから、その行為は過失犯を以て論ずべきことは疑を容れない(大審院大正三年(れ)第五四九号・大・三・四・二四言渡判決参照)。

ところで、本件において、被告人の操縦した貨物自動車は原判示丁字路の左側曲り角を左折する際、その曲り角の後記直径一米位の水溜りの窪地の少し手前で同道路左側を同方向に進行中の被害者神戸の搭乗する自転車を追越したものであることは明確であり(五〇丁表、七六丁表裏、九七丁表、一一九丁表、一六四丁表及び当審検証調書)、右丁字路左側曲り角附近に非舗装部分から舗装部分にかけて直径一米位深さ五寸位の水溜りの窪地があつて(司法警察員作成の実況見分調書及び当審検証調書)、該自転車が右水溜りの窪地と貨物自動車との間に挾まるべき進路に向つて舗装部分左端を進行しつつあることを被告人において予め認識していたものであることはこれを肯認するに十分である(一六二丁裏、一六四丁表、五一丁裏、三七丁裏、三八丁表)。論旨は当時被害者神戸の自転車は非舗装部分の道路を進行中であつた旨主張するけれども、被告人の検察官に対する第一回供述調書(一六二丁裏)、本件貨物自動車の助手である田中久夫の原審における証言(三七丁裏)、該貨物自動車の同乗者である佐賀忠造の原審における証言(九七丁裏)に徴し、舗装部分の左端を進行中であつたことが明白であり、被告人の司法警察員に対する供述調書、上柿力の検察官に対する供述調書及び同人の原審における証言、並びに当審証人内舘寛一同佐賀忠造の各証言のこの点に関する部分は右に照し措信できない。右水溜りの窪地の左側(進行方向に向つて)の非舗装部分の歩道は路面も悪しく、当時退庁時刻で人通りが多く、自転車に乗つた者がそこを廻ることは無理な状況であつたこと(七七丁裏、八六丁表)からみても所論は採用できない。そして、当審検証の際における被告人の指示供述によれば、被告人の操縦する貨物自動車が前記丁字路左側曲り角を左にカーブした時の左側後車輪左端は前記水溜りの窪地附近において舗装部分左端から〇・六米(一尺九寸八分)であるが、これは同検証に立会つた本件貨物自動車の助手であつた田中久夫、同乗者佐賀忠造並びに目撃者内舘寛一もそのとおり又は大体そのとおりと指示したところであり、原審検証の際における立会人内舘寛一の指示供述によれば同じく〇・六四米であり、同立会人佐賀忠造(同乗者)の指示供述に徴しても一米、原審証人田中久夫(助手)の証言に徴しても一米(四〇丁表)というのであり、田中久夫の検察官に対する供述調書(五二丁裏)、上柿力の検察官に対する供述調書(四五丁裏)に徴しても貨物自動車は自転車とスレスレに追越したというのであつて、これらに照し被告人の検察官に対する右水溜りのカーブ附近で追越す時水溜りより四尺五、六寸右側を通つた旨の供述(一六四丁表)、被告人の原審検証の際における前記間隔が一・八米(五尺九寸四分)あつた旨の指示供述は信用できない。更に、記録及び当審における事実取調の結果に徴すれば、論旨も主張する如く、被害者神戸は自転車に足をかけたまま倒れていたものであり、かつ同人は骨盤部を被告人の貨物自動車の左側後車輪に轢かれたものであることが明かである。さすれば、倒れた神戸の腰は自転車のサドルから幾らも離れていなかつたろうと推測されるのであるが、司法警察員作成の実況見分調書及びその添付見取図、写真(特に記録一八丁裏の写真)によると、自転車の倒れていた位置は両方のペタルを水平にした場合そのペタルが道路左側の舗装部分と非舗装部分との境より若干(二、三寸はあるとみられる)北側(外側)に当るものであつたことが明かで、また証第一号の自転車を検すると、そのペタルを右の如くにした場合ペタルとサドル上面との高さの差は一尺九寸である。故に、自転車が右の如く倒れた場合サドル上面は道路北側の舗装部分と非舗装部分との境から南へ一尺九寸よりは若干少い距離にあり、倒れた神戸の腰はそれよりも若干南に当るという程度のものであつたと認められる。そして、原審検証調書によると本件貨物自動車の後車輪はタイヤが二本でその全体の幅は〇・四五米(一尺四寸八分五厘)であることが明かであるが、その左側後車輪の外側は神戸の腰部負傷個所の最下部に当るわけである。叙上の諸点を綜合すると、その際の本件貨物自動車左側後車輪外側と道路左側舗装部分と非舗装部分との境との距離はこれを前記被告人の指示する如く〇・六米とみるのは決して不当ではない。しかるところ、記録及び当審における事実取調の結果に徴するに、貨物自動車と自転車に搭乗して進行中の神戸とが接触したと確認すべき直接の証拠はないが、本件貨物自動車のボデー上部は僅かではあるが車輪外側より出ており(一八丁写真)、また舗装の端は道路外側に向つて多少傾斜をなしかつ水溜りの窪地附近は舗装の端が欠けていること(同上)等から自転車は水溜りの窪地附近では舗装部分左端から少くとも二、三寸位は内側を進行せざるを得ない筈であるから、自転車の車輪と自動車の車体外側との距離は〇・六米よりは少くとも三、四寸位は狭くなるべく、なお自転車搭乗者のハンドルを持つた右腕の肘はハンドルの端より若干右側に突出するのが通常であつて、これらをも計算に入れれば、貨物自動車が神戸の自転車を追越す際は神戸の身体の右側と貨物自動車車体の左側との間隔はいくばくもなく、数学的にいえばその間多少の余裕はあつたとしても常識的にはスレスレといつていい程度に接近して進行していたことは明かで(上柿力、田中久夫の各検察官に対する供述調書中に被告人の貨物自動車が神戸の自転車をスレスレに追越した旨の供述記載があることは前記の通りである)、これに前記水溜りの窪地のあつたこと等も加つて、神戸が狼狽等の心理的動揺により自転車の操縦を誤るということは経験則上極めてあり得ることである。されば、被告人は神戸の自転車を追越すに際し前叙説明の如き危険の生じない程度の十分な間隔を保持して進行していなかつたことが明白である。しかも、被告人は右追越しに際し警笛を鳴らしたのみで時速二十粁程度の速度のまま(一六三丁表)漫然左折進行したもので、その間特に徐行したこともなく、助手をして特に右自転車の方を注視せしめたこともなく、その他若し接触等の危険を生じたならば即時停車して事故発生を予防すべき何等の措置をもとらなかつたことは記録に徴し明かであるから、被告人が前叙業務上の注意義務を怠つたことは疑いがない。然り而して、被告人は貨物自動車の車体左側と神戸の身体とがスレスレといつてもよい程度に近接して進行したことは既に説明したが、これと、原審証人内舘寛一の「道路アスファルトの左端をトラックと自転車が、トラックの方が後のようであるが、一緒にといつてもよい位にカーブを切つたが、自転車がトラックに追いつめられたようになつて、フラフラとしたと思つた次の瞬間、自転車に乗つた人がトラックの下に入つていた」旨(七六丁裏)、原審及び当審証人小田耕一の原審における「カーブの所でトラックが自転車に追付いたようでトラックの方が追越して行くような状況であつたが、行つたと思うとすぐトラックが急停車したので、見ると自転車はトラックに捲込まれてしまつたようであつた、それは自転車の何処かとトラックの何処かが接触したのでトラックの方に捲込まれて倒れたと思つた」旨(二九丁表ないし一二〇丁表)、当審における「一瞬間的にしか見ていないが自転車がトラックと少し離れたと思つたら神戸はトラックに捲込まれるようになつて一瞬の間に轢かれてしまつたので、私の考では、トラックに触れたとしてもほんの少しで、トラックの方では気付かなかつたのではないかと思う」「神戸の方で水溜りの窪みをよけて行つたのではないかと思われ、そのために自転車の方もトラックに近づき触れたのではないかと思われる」旨の各証言、上柿力の検察官に対する供述調書中「その車(トラック)の左側の舗装しないところに、自転車のタイヤ位の凹地があり、そのすぐ右をトラックとすれすれに男の人が自転車に乗つて、むこうから来たかこちらから進行したのかはつきりしないが、兎に角その地点でふらふらして危いと感じたときには自転車をその凹地の方に倒し、自分はトラックの左側後車輪前に倒れてしまい、その上をトラックの後車輪がひいてしまつた」旨の供述(四五丁裏、四六丁表)、田中久夫(助手)の検察官に対する供述調書中「余りにもスレスレに追越しの際左にカーブを切つたから、車体の何処かにその自転車が突当らないまでも接触したため、中心を失つて遂に倒れたので後車輪に轢かれたものと思う」旨(五二丁裏)の供述、及び被告人の検察官に対する第一回供述調書中「従つて、私としてはこのような条件の最も悪いカーブの角で追越したことになり、これがために車体の左側が自転車の何処かに当つたか、さもなければ車のアフリを負わせるかして、遂にその人の自転車の進行の自由を失わせて倒し、これを後車輪で轢いたものと思う」旨(一六〇丁表裏)の供述を総合すれば、被告人の貨物自動車が自転車に乗つた神戸を追越すに際し両者の間隔が余りに接近しており、これと前記水溜りの窪地のあつたこと等のため神戸が狼狽等により自転車の操縦を誤つて身体の一部を貨物自動車の左側に接触せしめたか、又は接触せしめないまでも前記水溜りの窪地に自転車の前輪を突込んだか等して、貨物自動車に捲込まれるような状態になつて転倒したため、その後部左側車輪に轢かれたものと認めるのが相当である。そうだとすれば、被害者神戸が自転車の操縦を誤つたのは被告人において前叙業務上の注意義務を怠つたためであることはまことに明かで、被告人の前叙過失が事故発生につき因果関係のあることもちろんであり、なお神戸の転倒したのは被告人の視界外で同乗の助手において自転車の状況の注視を怠つた過失があつたとしても(五二丁表)、これがために被告人の責任を免脱せらるべきものでないこというまでもない。

以上の次第で、被告人の過失の責なしとする所論は採用し難いが、被告人の運転する貨物自動車が原判示の如く神戸乗車の自転車に突当り同人を路上に転倒させたと認定した原判決は事実を誤認したもので、その誤りは量刑に影響するところ少くない故判決に影響を及ぼすことが明かなものというべく、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

そこで弁護人の量刑不当の控訴趣意に対する判断は後記自判の際示されるのでここに省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所において更に次のとおり判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転者であるところ、昭和二十九年六月二十五日貨物自動車(岩第一ノ三三三一号)を運転台に助手田中久夫及び該自動車所有主佐賀忠造を同乗させて運転し盛岡市内を稗貫郡八幡村に向け進行中、同日午後五時四十五分頃時速約二十粁で盛岡市役所方面より同道路が中の橋方面から桜山神社前を経て盛岡駅方面に通ずる直線道路に、同市内丸岩手日報社前で直角に出合い丁字路をなしている個所に差しかかつた際、前方五米位の地点の左側を被告人と同方向に向う数台の自転車を認めたがそのまま進行し、右丁字路を中の橋方面に左折する少し手前で、右自転車のうち神戸国治(当時四十七年)搭乗の自転車一台が遅れて同様左折せんとして道路の舗装部分左端を進行しているのに接近した。しかるところ、同所道路の幅員は丁字型地点において十六米ないし十四米位でその中央が七・五米ないし、六・五米位舗装され、当時丁字型左側曲り角附近に非舗装部分から舗装部分にかけ直径一米位、深さ五寸位の水溜りの窪地があつて被告人は該自転車が右水溜りの窪地と貨物自動車との間に挾まるべき進路を進行しつつあることを認めたが、右水溜りの左側の非舗装部分の歩道は路面も悪しく、当時退庁時刻で人通りが多くて自転車の通ることは困難であつたし、又丁字型個所から桜山神社前を経る諸車の交通は停止されていたので反対方面からの諸車はすべて被告人の進行して来た方面へ曲つて進行するものであつたから、被告人の貨物自動車が神戸の右側に出て両者の間隔を十二分に保持してこれを追越すことも困難な状況にあつた。ところで、貨物自動車が自転車を追越す際数学的には多少の余地があるときでもなお相接触等すべき危険のあることを予期しなければならない場合のあることは理の当然であり、まして貨物自動車が曲り角をカーブする場合には前車輪よりも後車輪の方が一層カーブ内側に近い所を通過するのが通常であり、特に前記の如く曲り角附近に水溜りの窪地があるところでは余りに接近して追越す場合には、これがために貨物自動車の動揺や自転車搭乗者が狼狽等の心理的動揺によりその操縦を誤つて衝突若しくは接触し又は衝突若しくは接触しないまでも転倒し、その結果同搭乗者の死傷を惹起することは往々にしてこれあるところである。従つて、かかる場合自動車運転者は右の如き曲り角で自転車を追越すには、右の如き危害の発生を考慮してその防止に十分な間隔を保持して進行すべく、若し交通頻繁等その場の状況上右の間隔を保持し得ないままで進行するならば、追越し終るまで助手をして右自転車の状況を注視せしめ、かつ必要に応じて何時でも停車し得るよう用意しつつ徐行する等随時危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あることは条理上当然である。しかるに、被告人はことここに出でず何等機宜の措置を構じないで、前記神戸との接触等の故障なく同人を追越し得るものと軽信し、ただ警笛を鳴らしたのみで前記速力のまま、漫然、貨物自動車左側後車輪が舗装部分左端から僅か〇・六米程度の間隔を保持しただけで、神戸の身体とはスレスレに接近して進行したため、同人をして狼狽のため自転車の操縦を誤り、その身体が貨物自動車車体左側に接触したか、接触しないまでも前記窪みに自転車前輪を突込んだか等して、貨物自動車に捲込まれるような状態になつて、同人を路上に転倒させ、その自動車左側後車輪で同人を轢き、因つて、同人に骨盤骨折、骨盤内出血、尿浸潤、左助骨骨折及び尿道膀胱直腸挫傷等の傷害を負わせ、該傷害による失血のため同日午後十時十分同市岩手医科大学附属病院において死亡せしめたものである。

(証拠の標目)

右の事実は

1.被告人の検察官に対する第一回及び第二回各供述調書

2.田中久夫の上柿力の各検察官に対する供述調書

3.原審証人田中久夫同内館寛一同佐賀忠造同高橋一見並びに原審及び当審証人小田耕一の各証言

4.司法警察員作成の実況見分調書並びに原審及び当審における各検証調書

5.医師松谷祐之作成の神戸国治に対する診断書

6.原審押収の自転車一台(証第一号)の存在及び状態

を総合して、これを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二百十一条前段罰金等臨時措置法第三条第二条に該当するので、所定刑中罰金刑を撰択し、その金額範囲内で、被告人を罰金一万円に処し、刑法第十八条により右罰金を完納することができない場合の労役場留置期間を定め、なお原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 細野幸雄 裁判官 杉本正雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例